「認知的不協和」と「負け惜しみ」

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今回は、非常に大事なことを書きます。

「認知的不協和」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?

この言葉を知っているか否かはともかく、多くの人が、この罠にはまって、現在の生活に甘んじていると思います。かくいう自分自身もそうです。

それでは、認知的不協和を知って、人生をより良く変えていきましょう。

負け惜しみの心理学

「認知的不協和」とは、

人が、自身の中で矛盾する認知を同時に抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。

アメリカの心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱された。

人は、これを解消するために、自身の態度や行動を変更すると考えられている。

イソップ寓話の一つに「すっぱい葡萄」(「狐と葡萄」ともいう。)という物語があります。
あらすじは、

キツネが、たわわに実ったおいしそうな葡萄を見つける。食べようとして跳び上がるが、葡萄は、みな高い所にあり届かない。何度跳んでも届かず、キツネは怒りと悔しさで、「どうせあんな葡萄は、すっぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか。」と捨て台詞を残して去る。

というもの。
さらに、Wikipediaによる解説は、

手に入れたくてたまらないのに、人・物・地位・階級など、努力しても手が届かない対象がある場合、その対象を「価値がない・低級で自分にふさわしくない」ものとみてあきらめ、心の平安を得る。

フロイトの心理学では防衛機制・合理化の例とする。

また、英語圏で「Sour Grapes」は「負け惜し負け惜み」を意味する熟語である。

とあります。つまりは、

負け惜しみの心理学」ということです。

人は、自分を正当化する

不協和の解消方法は、「自分を正当化する」ことです。

私は、昔から車が好きなので、高級外車を例にしてみます。

「高級外車」がカッコよくて、欲しいと思っても、簡単には買えないので、

あんな車は、

「維持費が高い」
「燃費が悪い」
「壊れるかもしれない」
「ファミリーカーの方が使いやすい」
「移動できれば何だって一緒」
「だいたい値段が高すぎる」

など、多くの人は、

都合のよい言い訳(負け惜しみ)を言うことで、買えないストレスを解消して、自分を正当化してしいます。

思い当たることありませんか?
私は、大いにあります!

ほんとに、「これは私のことか?」という感じで、笑ってしまいます。

ポルシェが欲しい!

本当は、以前からポルシェの最新のBoxster(できればSpider)に乗りたいと思っていて、何度か試乗までしています。色もホワイトと決めています。それでもポルシェは、

「排気量が、大き過ぎ(しかも、ちょっと重たいよね~)」
「パワーがあり過ぎ(日本では使い道ないよね~)」
「燃費が悪い(その点、プリウスはすごいぞ!)
「ホイールサイズがでかすぎる(タイヤが高い!)」
「室内が狭い(荷物が少ししか積まらない!)」

などと買わない理由(負け惜しみ)を並べている自分がいて、そうなると、間違いなく一生、ポルシェには乗れませんね。

乗れないことを自分で正当化してしまうと、「どうやったら買えるのか?」という思考を持てなくなります。(実際そうなりかけていました。)

これではいかん!

と認知的不協和について学んでいて思った次第です。

どうしたら手に入るかを考える

国産のハイブリットカーは、日常使いでは、申しぶんありません。


特に50系にモデルチェンジしたプリウスは、見た目の意見は分かれるとしても、中身は、かなり良くなりました。

これに乗ってしまうと、以前の30系プリウスには乗れなくなります。振動や騒音がうるさくて。

単なる衣装替え(スタイルチェンジ)でないことは、乗ってみればすぐに分かります。

もしも、50系プリウスに試乗したにも関わらず、スタイルがどうのこうのと言って、「やっぱり30系のほうがいい!」とか言っている人は、認知的不協和の解消のための言い訳ではないのか?と思ってしまいます。

私は、試乗したその日に乗り換えを決めてしまいました。(レオニスのナディア04を履かせたので、見た目もなかなかです。)

話をポルシェに戻すと、もしも、どんなにプリウスが素晴らしいかったとしても、だからといってポルシェがいらないという理由にはならないですよね。ポルシェには、プリウスにない魅力がありますので。

なんなら、ポルシェとプリウスの2台を、状況に応じて乗り分けてもいいわけです。おそらくそれがベストです。

というわけで、「れからは、負け惜しみや言い訳を言うのをやめて、欲しいものがどうしたら手に入るのかを考えて生きる」ことを、ここに宣言します!

妥協と正当化の人生

ここまで、高級車を例に説明してきましたが、これは、なにも高級車だけの話ではなく、すべてに当てはまります。

車などのモノだけではなく、職業や、付き合う人物、住む場所など、あらゆることを、自分で妥協して、正当化して、負け惜しみを言うことで、今の生活に落ち着いています

今の生活とは、

今の仕事をして、今の車に乗り、今の配偶者と、今の場所に住んでいるということです。

実はこれは、非常に恐ろしいことだと思いませんか?

スマホはいらない

最後に、ふと思い出したので、もうひとつ例をあげたいと思います。

数年前にスマホが普及しだしたころ、私の周りの多くの年配者(年配者といっても50歳前後です。)は、

「あんなものいらない!必要ない!」と、かたくなにガラケーからの乗り換えを拒否していました。

聞いてもいないのに、力いっぱいスマホにしない理由を並べ立てていました

今思えば、最新のデバイス(スマホ)についていけない自分を、一生懸命に正当化していたということですね。

まとめ

人は、これまで持っていた「信念や考え方」に対する新たな「事実」が出たときに、認知的不協和というストレスが発生し、自分の中に存在する矛盾(ストレス)を解決するために、自分が納得する都合の良いように答えを探します。

そして全てを正当化しようとするのです。

そして、それに見合った人生が、創られていくことになります。 恐ろしですね!

以上、「負け惜しみを言うのをやめて、欲しいものを手に入れる人生を送りましょう!」というお話でした。

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